長谷川等伯展 〜等伯の挑戦と継承せし者たち〜 2018年5月2日
能登は建国1300年だそうです。凄い。
1539年に戦国大名畠山家に使える奥村家に産まれ、染物師長谷川宗清の養子となる。
長谷川宗清は染物師のみならず、画家としても名を馳せた人物のようで、今回の長谷川等伯展では養父宗清の絵を観ることもできます。
wikipediaでは、等伯は1571年に養父母の死により上洛したとありますが、1577年には上杉謙信が七尾城を陥落させ、能登畠山家を滅亡させたそうです。彼は、自分の志だけを考えていたわけでもなく、上手く時代の空気を読んで能登を出たという面もあるのかもしれない、と思いました。
長谷川等伯展 〜等伯の挑戦と継承せし者たち〜 « 石川県七尾美術館
美術展の中身は自分で観て感じるしか無いので、省略します。
一点、高台寺圓徳院の山水図襖は、確か本物を生で初めて観ることが出来、特に印象に(以前、観に行った圓徳院ではレプリカが嵌っていたので)。
本延寺、すなわち、等伯の父奥村宗道の菩提寺であり等伯がその後京都で過ごした本法寺を旧本山とするお寺、が近くにあると聞き、訪れてみました。
この本延寺がある山の寺寺院群が凄い所で。ちょうど雨降ってきて効果満点。
本当に、名前の通り、お寺の郡なのですね。。
等伯の養父母の菩提寺である長壽寺を訪れることが出来ました。合掌
本延寺。きちんと整備された美しいお寺です。合掌
道すがらに。最近潜伏キリシタンの世界遺産登録のニュースがありましたが、隠れ切支丹祭り、ドキリとするような響きですが、ほんの数百年前の歴史が今も祭りとして受け継がれているのですね。
そして七尾から金沢に移動。とりあえず特急に乗ったら、花嫁のれん号という観光列車で、早く金沢に着けと念じながら乗っておりました。
金沢駅でたまには贅沢。